クリスマスの悲劇
お久しぶりです。
去年のクリスマスの話で、べつに悲しい話ではないのですが少しだけ、えぇ…っていう出来事があったので書きたいと思います。
クリスマスの前の週にプレゼントを探しに都城の渋谷ことイオンモール都城駅前店にいきました。お目当の何かがあったわけじゃないのですが、何かないかなと。
そこで、自分も欲しかった真空断熱タンブラーを見つけました。自分用に長いやつと相手用に半分のサイズに猫の絵がプリントされているのを選びました。
父親の事務所でタンブラーを使っていると、よくコーヒーを飲む父は温度の下がりにくいそれに興味を持ちました。ただ、ロングサイズのタンブラーはホットコーヒーに合いません。私は父に小さいのもあるよと教えました。
ロングサイズのタンブラーは一種類だけでしたが、半分のサイズのは何種類かありました。
父は僕が選んだ猫のタンブラーを買ってきました。
そうです。
僕の彼女と父はお揃いのタンブラーを使っています。だからなんだという話ですが、これが僕に起こったクリスマスの悲劇です。ご静聴ありがとうございました。
年の瀬なので
2016年最後の最後にヤバいの来ましたね。
石若駿1st.EP「Songbook」
今一番好きなドラマーは誰だと聞かれたらBrian Bladeか石若駿か迷って質問者を殴るでしょう。
たしか、アルバムのCleanUpも去年の12月だったような。どっちもスルメ盤ですね。最近は車のなかではこの二枚をきいてます。
石若さんの超絶ドラミングが聴ける!っていう感じのアルバムではないのですが、ドラマーとしてこういうこともやるのか、となるアルバムです。いろんな楽器を多重録音してるんですね。
二曲目のクリスマスソングたまらんですね。
もう直ぐクリスマスなのでプレゼントにいいのではないでしょうか?(安いし 僕なら嬉しい。
では、今日の本題。
もう直ぐお正月ですが、みなさんは年賀状書いてますか?僕はここ10年ほど喪中ということにしていたのでほとんど書いていません。今年は書こうかなと思ったりもしています。
年賀状に関連してるのか分かりませんが、皆さんは最後に誰か宛に手紙を書いたのはいつですか?
僕は先週です。色々あってここ半年ぐらい人に手紙を書いています。
その前に最後に書いたのは中学生とか?でしょうか。
今になって手紙を書くっていうのはすごく難しいことだと知りました。僕なんかは日常がツイッターに垂れ流しなので2度3度同じことを伝えることになりかねません。
あと、字も汚いのでいつも通り書いたら読めなくて伝わらないなんてことにも。
連絡はLINE、メールで事足りる世の中ですが手紙にはそれらにはない楽しさと難しさがありますね。
自分の字が汚くても自分だけ読めればいいとか、提出するものだけちゃんと書けばいいとかいっても難しいものでちゃんと書いたつもりでもこれで相手は読めるのか?と気になります。そういうことを何度も繰り返したので、自分も大分字が綺麗になったと思います。文章力はイマイチですが。
そういうことで、手紙のやり取りをオススメしてもなかなか気軽にできるものでもないと思うので年賀状にも一言二言添えるときにちょっと気にして書いてみるのもいいのかなと思いました。
おわり。
僕のマインクラフト #1
新シリーズ。僕のマインクラフト、です。
山大の軽音で数年前に流行って誘われたんですが僕のPCではまともに動かそうにもなかったのと、時間泥棒なのは分かってたのでやらなかったのですが、この度マインクラフトデビューしました👏
ただ、時間泥棒なのと朝起きれなくなるのは問題なので1日のプレイ時間を約20分に制限しています。やったことのある人ならわかると思いますが、20分でなにができるのか? なにもできません。
購入初日(先週の土曜日)に10時間ほどやったので、その続きをちまちまやってる感じです。
今は羊と豚をアホみたいに増やしています。
囲いを拡張する時間もないのでギチギチです。
前々から興味はあったのでPC版のプレイ動画を見ていたのですがWiiU版はクラフトなど簡略化されているのでしょうか?難易度低くしてるからでしょうか?
楽ちゃ楽だけどなんか物足りなく感じます。
以上マインクラフト4日目までの報告でした。
次は休みの日にダイヤモンド探しをしたいと思っています。
祝3000pv達成記念
このブログを開設して約一年。
気まぐれで更新し、タイトル詐欺も込み込みでようやく3000pv達成です。
ブロガーになりたいとかではないので別にどうでもいいんですが、なんか嬉しいですね。大半の人はツマンネーよ。ブログやめちまえ、と思っているでしょうが。
というわけで今年もやります、今年の10枚のコーナー!
ですが、引っ越しとかもあり今年買ったアルバムがパッとわかる状況じゃないので、よく聞いたやつを何枚か選んでみたいとおもいます。今年のじゃないのもあります。
1.Unrehurst,Vol.2/Robert Hurst
2010年の作品。Robert Hurst(bs)のピアノトリオ。ライブ盤。
Robert Glasper(pf) Chris Dave(ds)
ジャズに限らずいろんなミュージシャンから大注目の2人がオーソドックなジャズだとどういう感じなの?っていう方は聞いてみてね。
2.Blues and Ballads/Brad Mehldau Trio
これは今年ですね。一つ二つ前のメリアーナ路線が続くとばかり思っていたので、シンプルさに驚きました。Cherylがお気に入りです。ジェフバラードのドラムが心地よいです。
3.The Purity of the Turf/Ethan Iverson
これも最近ですね。みんな大好きクリスクロス。スタンダード多め。
名前は聞きますがよく知りません。
Ron Carter(bs) Nasheet Waits(ds)
ナシート、いいですよね。遊び心ありながらずしっとビートを出す感じ。今年リーダー盤もでてますが僕はこっち。
4.Big Brown Getdown,Vol.1/Ali Jackson
2007年の作品。このアルバムはオクテットの相澤さんから探して欲しいと言われたアルバムで、聞いた話ですが、NYの某クラブのライブを隠し録りしたやつがいいじゃんってなって出たやつだとか。真相は不明。調べてください。
けど、確かに音はイマイチです。ドラムはたまに音割れしてます。が、向こうで普段行われてるライブがどんなものか知れる一枚ですね。アーロンゴールドバーグがキレキレです。
5.Acknowledgement/Matt Kane
2015年盤。Matt Kaneはドラマーで先生。
その生徒を引き連れた作品。
本格ハードバップ。新しいものばかり追求してた時に聴いてやっぱりバップはいいなぁと思ったアルバム。これもオクテットで知りました。
三管編成で熱いバップきけます。それだけじゃなくメセニーの曲も取り上げていて、勢いだけじゃない、アンサンブルが光る曲もアリ。
カンザスシティもジャズが熱いんですね。初めて知りました。
疲れたのでとりあえず今日はおわりです。
続きはまたこんど!
あの頃はよかった-モテ期編-
あの頃はよかったシリーズ第三弾。
今は12月6日1時18分です。昔のことを思い出して悲しくなりどうせ明日になったら忘れてるので今のうちに書いてやろうと。
モテ期って言葉がありますよね。誰しもこれがあるとかないとか。今になってあの時がモテ期だったのかなと思うことがあります。
しかし、今回はあの頃どうモテただのそういうことはどうでもいいんです。私の漫画みたいな失恋のエピソードを書きたいと思います。
ちなみに、大学生の時の福島での一目惚れ→失恋のエピソードもありますので、気になる方は過去の記事を見てください。
中学一年の終わり頃から塾に通いはじめました。
その塾は隣町にあり、他の中学の人もいました。その塾は志望校のランク別に教室が分かれていて私は進学校を狙うクラスでした。しかし、数学がてんでダメで数学だけは一つ下のランクの教室で受けていました。そこには某中学の仲良し女子3人組がいました。私はその中の1人に一目惚れをしました。
しかし、会えるのは数学の60分の一コマのみ。全く仲良くなるなどのイベントはなく、ただの片思いでした。学校も違うし恋というよりはアイドル的な憧れに近い気もします。中学生ですから…
ある日、吹奏楽のイベントでその女子3人組を見かけました。その女子3人組も吹奏楽部でした。そこで話しかけられ、意気投合、とはいきませんでしたが、話すきっかけを得ました。
付き合いたいとかは思っていませんでしたが(理由は後述)仲良くなりたいと少しずつ思い始めていました。
そこからは特に進展はありません。塾で会えばコンクールの曲決まった?とかそういう話しかしてませんでした。が、会話ができてるだけで満足してたんでしょう。
年が明けて(中学2年の)2月。
突然、一目惚れをした子から彼女いるの?と聞かれました。いない、と答えました。
私はもしかして?もしかするのか?と。
運命の日がやってきました。
2月14日。バレンタインデーです。
塾の教室に入ると雰囲気がいつもと違うことに気づきました。なぜかみんなが笑ってこっちを見ています。なんだ?と思いながらも席に着くと机の中に何かが。これまででもらった中で一番大きなチョコレートと手紙が入っていました。勿論、宛名は私のものでした。
平静を装いつつも先の件があったこともあり、私は気が気ではありません。
休み時間にブツを眺めると、それは義理のものではないというのが一目でわかりました。ただし、差出人が誰かはこの時点では確定していません。答えは手紙の中。
私は手紙を開けました。正直この時点で、90%ぐらい勝ちを確信していました。
好きです。付き合ってください。
という、ストレイトなメッセージと連絡先。
そして、知らない名前。
その手紙の差出人は女子3人組の私が一目惚れした子ではない子でした。失礼ですが、意気消沈した私はその子にお礼も言わずに帰ってしまいました。
(チョコレートは美味しくいただきました。)
当時は携帯も持っていなかったので連絡先を渡されてもどうしようもなかったのですが、直ぐに返事をせず最低なことをしてしまったな、と… ホワイトデーにお返しをしました。そこで断りました。
以上が中学二年生の時の失恋の話なのですが、この片思いの間、私には同じ中学に彼女がいました。2月の時点で彼女がいないと言ったのは嘘です。
付き合いたいとか思っていなかったというのは彼女がいたからです。
私は塾の他の中学の友達に一目惚れした子がかわいいという話をしていました。その話が回り回って彼女の耳に入り、別れることになりました。
ここまでが、私の失恋の話でした。
ふと思い出したので書いてみましたが、最低ですね。悲しいです。
おわり。
あの頃は良かった-MD編-
記事を更新しなくてもブログタイトルに釣られてるのか地味にアクセスがあるこのブログ。
私はジャズが好きな元大学生です。なので全くの詐欺ではありません。
今回はあの頃は良かった-MD編-ということで、MDは皆さんご存知、Mini Disc。なんとも言えない存在でしたよね。
私が初めてMDに出会ったのは小学六年生の冬でした。父親にMDポータブルプレイヤーを買ってもらったんです。CDポータブルプレイヤーも持ってましたが、今考えるとCDだMDだってよく持ち歩いてたなぁと思います。
私はMD自体には大した思い出はないのですが、このMD購入が人生の転換期となりました。
小学六年生の12月、休みの日に父親に呼ばれ買い物に付き合うことに。なにも聞かされていなかったヒロセ少年は訳もわからずついて行きました。
着いたのは地元の電器屋「100満ボルト」
父親に連れられゲームコーナーへ。ヒロセ少年はゲームを買ってもらえると少し期待しました。すると、父親が「〇〇(弟)の欲しいって言ってたやつなんだっけ?」と。 自分も少し期待していたくせに、弟のモノを買いにきたのかと、なんで弟にだけゲーム買ってやるんだ?とすこしお怒りのヒロセ少年。
すると父親が「来週クリスマスだからね」
当時、学校で「サンタクロースはいるのかいないのか問題」が話題でした。私も毎年寝たふりをして正体を暴いてやろうとする側の人間で、でも本当にいるんじゃないか?とかすかに期待もしていました。
そうです。この瞬間、私の淡い期待は完全に打ち砕かれました。サンタクロースの正体は父親だったのです。ヒロセ少年はショックを受けつつも、まぁ知ってたけどねのスタンスでその場を乗り切りました。
その後に、クリスマスプレゼントということで父親がMDポータブルプレイヤーを買ってくれたのです。
充電器がスピーカーにもなるタイプのやつでした。
当時は全く音楽に興味がなかったので家には両親の松田聖子や宇多田ヒカルのCDしかなく、いまさらそれをMDに入れてどうするんだ?という感じで購入直後はインテリアになっていました。
中学生になり吹奏楽部に入り、少しずつ音楽に興味を持ち始めるとCDを借りてきたり、友達からMDをもらったりして使う機会も増えました。
MDにシールを貼ってそこに曲名を書いたりするのも懐かしいですね。友達からもらった平井堅のMDのポップスターがラメ入りのペンでかかれていたとか、極細のボールペンでびっしり書き込んだりと懐かしい思い出もありますが、父親サンタクロースショックに比べたらどうでもいい思い出です。
以上、あの頃は良かった-MD編-でした。
無事24歳になりました。
いろんな意味で、いつもと違った誕生日を迎えられて良かったと思います。おわり。
あの頃は良かった-ゲーム編-
あの頃は良かった、と思うこともすこしずつ出てくるようになりました。
今日の「あの頃は良かった」はゲーム編です。続くかはわかりません。
私は小学生の頃からテレビゲームばかりやっていました。誕生日やお年玉で弟と協力して最新ハードを買いほとんどのゲーム機に触れてきました。
大学二年生のときに楽器を買うために全てのゲーム機を売り払い、それからはスマホゲーム以外は友達の家でしか触れてません。
初めてゲーム機に触れたのは、小学一年生の時でした。なぜかは覚えていないのですが、突然親がゲームボーイライトを買ってきました。それまで全くゲーム機に触れたことのないヒロセ少年はそれがなんなのかも理解していなかったと思います。
その時に親が買ってきたのが、ゲームボーイライト本体のみでした。もちろん、家にソフトはありません。ヒロセ少年は電源を入れたり消したりしてそれだけで満足していたと思います。
その後、従兄弟から星のカービィを借りました。アホみたいにやっていたと思います。しかし、電池もタダではありません。親もゲームばかりしていては、とすぐに電池をくれるわけではありませんでした。今のスマホゲームのスタミナ回復みたいな感じですね。
次に、遂に我が家に初めてのソフトが届きます。初代ポケモンピカチュウバージョンです。少しずつ周りの友達とゲームの話をしたりアニメを見たりするようになり、ポケモンの存在を知っていたヒロセ少年は朝一で母親とローソンに受け取りに行ったのを覚えています。これが地獄の始まりでした。
ピカチュウバージョンは最初にもらえるポケモンがピカチュウです。そのピカチュウの持つ攻撃技はでんきショック。ニビシティのジムリーダータケシの持つポケモンには攻撃が効きません。開始早々進めることができなくなります。しかし、ヒロセ少年は
ストーリーの進行など気にしていません。ひたすらトキワの森でピカチュウを育てlv21まで育て、叩きつける無双をしました。
その後、モンスターボールで野生のポケモンを捕まえること事を知ります。
正直、これ以降のゲームボーイのことはあんまり覚えていません。ロボットポンコッツにハマったことぐらいしか覚えてないです。
そして、小学二年生でNintendo 64に出会います。
これは、父親が同僚から譲ってもらったものだったと思います。その時はソフト付きでした。今でも大好きなゼルダの伝説 時のオカリナです。
余談ですが、ゼルダシリーズはハードを持っていない今も買っています。全作プレイしました。
ゲームに慣れたヒロセ少年ですが、初めての3Dや登場人物の多さに困惑しました。ポケモンはアニメなどで主人公は「サトシ」と決めつけていましたが、ゼルダシリーズは全くの初見。
前の持ち主がデータネームを「ごんじ」にしていたことやゼルダの伝説というタイトルからこの男の名前はなんなんだ?と。箱も説明書もなかったので、リンクという名前を知るのはずっと後のことになります。
アクションや謎解き要素満載の時のオカリナには頭を抱えました。このゲームは親父と二人三脚でクリアしました。
中でも、水の神殿。ギミックも複雑で鍵の場所もわかりにくく、一番時間がかかったと思います。父親が平日の休みの日に仮病を使い母親を騙し学校を休んで父親と2人で水の神殿をクリアしたのを覚えています。これまでに時のオカリナのハイラルを30回は救っていると思います。
64の時のオカリナ、GCの風のタクトの予約特典の時のオカリナ表裏、GCゼルダコレクションの時のオカリナ、3DSの時のオカリナなどなど… VCはやってません。配信されてるのかな?
小学生からずっとゲームとともに成長してきましたが、ポケモンピカチュウバージョンとゼルダの伝説時のオカリナのこの二つのエピソードが私の中での思い出です。他は正直、なんとなく新作出たねって感じでやっていたので…
なにが、あの頃は良かったなのかわかりませんが未だに覚えているゲームとの出会いでした。
おわり。